My 余生 diary:介護の日々を思い出しながら・・・

施設にお世話になって12年目に亡くなった母の介護の日々を写真とともに懐かしみながら「余生日記」を綴ります

3日前に

(2009年6月7日 撮影)


義父です。昨日のブログに少し書きましたが、母より先に施設に入所しました。


義母が急逝し、1年弱ほどヘルパーさんに介助していただきながら独り暮らしをしていましたが、もともと持病があり、本人が在宅に不安を感じて自分からかかりつけ病院に入院。ただ、急性期を過ぎればいつまでも入院していられず、地元で施設を探しましたがなかなか空きがなくて、こちらの施設に入所。


その後、母のときにはわたしが面会に通うことを考えれば同じ施設の方がなにかと便利だろう、ということで相談・お願いして母も入所しました。そして、お隣ユニットに。


義父は“まだら惚け”といった感じでしたが、母はほぼなんの記憶も残っていませんので、お互いのことはほとんどわからないでいたようです。たいていは、先に義父に面会して、その後に母のところへ。義父を散歩に連れて出たら、リハビリスタッフといっしょにやはり散歩に出てきた母とバッタリ鉢合わせ❣ なんてこともたまにありましたっけ。


でも、ほぼお互いのことは気づかないまま過ごして、震災の3日前に、義父は施設で亡くなりました。


バタバタと実家の方へ運び、義父の希望があり夫とわたしのふたりだけで、菩提寺の和尚様に供養をしていただきました。


お通夜に葬儀、火葬とバタバタと・・・10日に納骨まで済ませて、わたしたちはこちらに戻りました。


そして翌日、震災❣


義父の菩提寺は福島県の浜通り、前日眠りについたばかりの墓地は津波のがれきが押し寄せ、墓石はひっくり返されめちゃめちゃになりました。


びっくりしたでしょうね。まだ寝入りばなって感じだったでしょう。


義父が1日遅れて亡くなっていたら、葬祭会館のスタッフさんに勧められた温泉にもう一泊していたら・・・わたしもいまこうしてのんきにブログなど書いていられなかったはず。まるで義父が計画していたかのようなスケジュールのおかげで、わたしたちは命をつないで現在があるような気がします。


そんなわけで、震災直後の施設では、二つのユニットを合体してケアをしていましたが、義父とわたしの母はもう顔を合わせることがなくなってしまいました。



ちなみに義父母のお墓の修理ができたのは、翌年の春のお彼岸でした。