My 余生 diary:介護の日々を思い出しながら・・・

施設にお世話になって12年目に亡くなった母の介護の日々を写真とともに懐かしみながら「余生日記」を綴ります

5日目の笑顔

2011年3月16日


ちょうどいまから10年前のきょう・・・東日本大震災から5日目、やっと母に逢いに行くことができました。


気になりながらも施設に電話は繋がらない。すぐにも顔を見に行きたい。


わたしたちはなんとか避難しなくてすんだもののうちの中はぐちゃぐちゃだし、ライフラインは途絶えたまま、ガソリンの残量も乏しくなりつつあったし、外に出れば信号も動いていないところのほうが多いくらい。


夫から
かあさまはだいじょうぶだよ、いままでだっていろんなことを乗り越えてきたんだから。施設の場所は地盤も強いところだし大変だろうけど面倒見てくれてるよ。それよりこっちが下手に無理してぶぅみぃになにかあったりしたらそれこそかあさまに迷惑かけちゃうから・・・
と、ある程度落ち着くまでやたらに動き回らないように釘を刺されていました。


そして5日目、やっと面会に行くと、母は、ちょっと疲れ気味かな?と感じられはしたけれど、いつもと変わりない笑顔で迎えてくれました。このときほど、「忘れることは幸せ(^^♪」と思ったことはないかもしれません。


母もユニットお仲間のみなさんも、ほとんどみんな地震のことなんて覚えていない、いつもと変わりないまったりとした時間が流れていました。


もちろん施設も水道や電気は止まり、暖房のボイラーも動かず・・・スタッフさんたちが実家から運んでくれた旧式の反射式ストーブにかき集めてきてくれた灯油を大事に使いながら暖を取っていました。


それでも寒いし(雪も降って)、スタッフの目が届くように、2つのユニットを1つのユニットに統合していました。。母ユニットにお隣ユニットのみなさんが引っ越してきて、ユニットリビングは大賑わい❣


自宅に帰れないスタッフさんは施設に泊まり込みで頑張ってくれていましたし、普段はあまりかかわりがない通所リハビリのスタッフさんたちもユニットに入ってお手伝いや入所者たちの話し相手になってくれて、気持ちの上でのケアになっていました。


寒いので、母もお散歩用に準備していたジャンバーなどを着込んで、にぎやかなユニットで楽しそうにしていました。


施設では備品や消耗品に不安があるし、温かい食事に苦労しながらもできる限りの手を尽くしてくれていました。預けていてよかった。。。


母の笑顔を見て、5日間の不安がだいぶ解消し、とにかく施設にお任せして、あとはわたしにできる部分でお手伝いしよう、と思いながら帰ってきました。