My 余生 diary:介護の日々を思い出しながら・・・

施設にお世話になって12年目に亡くなった母の介護の日々を写真とともに懐かしみながら「余生日記」を綴ります

電話

(2008/08/24 )


 母の家の電話は、まるで骨董品なダイヤル式の黒電話だった。母はほぼ毎日電話してくるようになった。こちらの施設に連れてくる2,3年前くらいから、だったと思う。
 わたしが出ないと心配するので、夜の7時に時間を決めた。母は、たぶんその前から、もしかすると6時半ころから、電話をかけるのを忘れないように、下手をすると電話の前で待機、していたかもしれない。
 わたしのほうはといえば、そのころはまだそれほどの緊迫感はなかったから、土曜日などは夫と出かけたりして、7時に間に合わなくなったら・・・と慌てて帰宅したりしていた。そのうち携帯を持つようになり、いくらかほっとしたのを覚えている。
 もちろん電話の内容はたわいもないことで、お互いに元気かどうかを確かめる程度だった。でも、ごくたまに時間になっても母から音沙汰なかったりすると不安になってこちらからかける。
 あらあら、ごめん・・・
 元気な声を聴けばそれだけでほっとしたもの。


 さっき、去年のいまごろ、GWのころはどうだったのか、日記を振り返ってみた。
 コロナのおかげで4月から面会はできなくなっていたが、必要なもの(洗濯物や好みの飲食物類など)の受け渡しに毎日のように通っていた。そろそろ母の命の炎がゆらめき始めていた。