My 余生 diary:介護の日々を思い出しながら・・・

施設にお世話になって12年目に亡くなった母の介護の日々を写真とともに懐かしみながら「余生日記」を綴ります

コーヒーとか・・・

母は、ヘルパーさんが来てくれると、ほぼ“お客さま”扱いしていた。
もちろん、お茶もお菓子も、うちにあるものをヘルパーさんに出してもらって、「お出しする」


ところで、コーヒーは、普段は母のテニス友だちの方に豆や挽いた粉を月に一・二回届けてもらっていた。たまたまその方のそのまたお友だちがコーヒー豆の焙煎・販売を始めたからだった。豆の種類はお任せで、一度に200gの袋を5,6個買っていた。わたしにもうちで飲むようにと半分もらっていた。


最初は豆で買っていたので、母のところに豆を挽く装置の付いたコーヒーメーカーを買って、わたしが行くたび、豆を挽いて粉にしたものを缶に入れて母がいつでも淹れられるようにしていた。母はコーヒーが大好き♡


たぶんはじめのうちは自分でコーヒーメーカーで淹れて飲んでいた。ただ、在宅中、最後までずっと使えていたとは思えない。かといって、インスタントコーヒーは買っていなかった。


ということは、コーヒーにしましょ❣ という母に合わせてヘルパーさんがコーヒーメーカーで淹れてくれていた、ということだったのだろう。


また、別の日のヘルパーさんの記録には、
よっちゃまにジャスミンティーを出していただきました。
とある。


それほど緑茶好きでもない母だし、いちいちお茶を入れるのは大変だろうと、わたしがティーバッグのジャスミンティーを買って、お湯を入れたポットで作るようにした。これなら簡単なので母にも、毎朝自分でお湯を沸かしてジャスミンティーを作って飲むことができると思ったのだ。


確かに、できていた。ただ、だんだんに、ジャスミンティーの香りがあまりしなくなった。ポットのお湯もいつもなんだかぬるい。


義姉が来たとき、わたしはいっしょではなかったので、後で聞いたのだが、
やかん の中がなんだかぬるぬるしてるのよ。とりあえず、洗ってきたけど。。。
わたしはまったく気づかなかった。


考えられるのは、母は冷え性なので、寒くなると“湯たんぽ”を入れる。昔からある、熱湯を入れるタイプ。
朝にはその湯たんぽのお湯で顔を洗う。ちょうどいいな、と思っていた。
ところが、もしかしたら、湯たんぽのお湯をまたやかんに戻して沸かしていたのではないか? そしてそれをポットに入れて、お茶を作る。これを繰り返していたのかも。
煮沸すれば消毒したことにはなるかもしれないが、果たして・・・?


ただ、そんなお茶をわたしも飲んでいたし、それでもことさらお腹をこわしたこともなかった。母はどうだったんだろう。


今思い出すと、かなり危なっかしい食生活をしていたわけで、よくぞ生き延びていた❣と感心すらしてしまう。


(2008/09/17 撮影)
たしか、施設から歯医者さんへ連れ行き、その帰りにお昼を食べに行った焼肉屋さんで。
2008年2月はじめに入所したのだから、このときはまだ入所7ヶ月目。
でも、在宅のころの険しい怖い表情は全く消えて、こんなに穏やかに。
もう、ほぼすべての記憶がなくなっているが、
実は認知症を装っているだけで、実のところはぜんぶわかっているんじゃないの?
と疑いたくなるような表情がほんの時折だが見られた。
もっともこれは母だけでなく、義父にも見られたことで、なんだかわたしの頭の中・腹の中を見透かされているようでちょっと怖いような気がしたものだった。。。